子どもの頃は苦手だった”お雑煮”、妙に食べたくなるのはなぜ? 大人になって分かる”懐かしさ”
地域ごとの食文化、その多様性がもっとも表れる”お雑煮”。SNSでは「実家の雑煮をたらふく食べた」「これから作る予定」という声も。家庭ごとに「えっ!? そんな具材を入れるの?」という驚きがあるのも「雑煮あるある」かもしれません。子どもの頃は得意ではなかった味も、大人になると懐かしく無性に食べたくなるのはなぜなのでしょうか?
■オーソドックスな「関東風雑煮」から、具だくさんの「博多雑煮」まで
eltha編集部では、昨年行われた茅乃舎のイベント「『お雑煮という奇跡』トークライブ&お雑煮食べくらべ会」に参加。毎年この時期は、正月料理の話題で盛り上がりますが、特に”お雑煮”は故郷の味をベースに、地域の食材や家族の好みによって進化しており、出汁や具材の違いで様々な広がりがあるようです。
イベントでは5つのお雑煮食べくらべましたが、地域ごとの貴重な食材、ゲン担ぎとなる食材の由来など、その意味を知るとなかなか興味深い内容でした。
簡単に紹介すると、オーソドックスな「関東風雑煮」は、江戸時代の武士が作っていたお雑煮と言われています。勝負事に勝つことが大事とされていたので、具材は縁起を担いだラインアップに。スープは”澄まし汁”を使用しており、これは勝負事に”ミソ(味噌)をつけない”ことから。お餅は”角餅(別名:のし餅)”を使用しており、”敵をのす”という縁起担ぎの意味があると言います。
関東と対照的で、味噌がベースになっているのが「関西風雑煮」。合わせ味噌や白味噌など地域によって味噌の味付けが異なるそうです。「角を立てず円満に」との願いを込め、お餅をはじめ具材はすべて丸く切られています。
博多の商人たちが自身のお客様に振る舞うために作っていたという「博多雑煮」は、商人たちのお客様をおもてなししたいという心から、具だくさんの雑煮になったと言われています。出世魚のぶり、丸餅、博多の伝統野菜・かつお菜が入り、上品な焼きあごのだしで華やかに仕上げられています。
出雲雑煮(島根)は、十六島(うっぷるい)海苔が使われているのが特徴的です。島根県出雲市の十六島周辺でとれる岩海苔で、厳しい荒波に洗われる岩に張りついた海苔を、命がけで採取した貴重品として、奈良・平安時代では献納されていました。やわらかな歯ごたえで、磯の香りが口いっぱいに広がります。
鮭雑煮(新潟)は、鮭といくらを使い、めでたい親子雑煮としています。かんぴょうも縁起のいい具材として知られていて、細く長く切ることができることから、長寿を象徴する具材として使われています。
■500年以上前から続いている「雑煮」
このように、地域ごとにさまざまな味で楽しまれるお雑煮。トークライブではその歴史から振り返り、「500年以上も前から脈々と受け継がれている」といいます。文献に「雑煮」という言葉が載っていたのは室町時代のことで、当時は武家や上流貴族がお客様をおもてなしする時の料理として雑煮が食べられていました。
織田信長が徳川家康を安土城に招いたとき、最初の料理として雑煮を出したという記録もあります。その他にも結婚式などのめでたい時、信頼関係を築く時など、正式な場で雑煮を食べる文化がありました。お正月にも当然食べられていて、その習わしが現在も残っているといいます。
そんな歴史があるとは知らず、子どもの頃は「またお雑煮~?」「なんだか苦手」という気持ちも。”古い食べ物”という感覚が拭えなかったですが、大人になり帰省するようになると、その味に”懐かしさ”を覚えるように。ふと故郷の味を思い出したり、家族がよく使っていた出汁や具材で再現してみたという人もいるのでは…。実家の雑煮が無性に食べたくなる現象は大人になったからこそであり、家庭の味が如実にあらわれる雑煮を作ることは、実はとても尊いことなのかもしれません。