【真夜中に食べる角砂糖―古性のちフォトエッセイ―】#2 知らない街と「はじめまして」の一歩

繰り返す毎日の中で、いつの間にか肩に入っている力。ちゃんと笑えているのに、ふとした瞬間になぜか泣きたくなる。
そんな言葉にできない心の穴にそっと寄り添ってくれる、古性のちさんのフォトエッセイです。
真夜中にこっそり食べる角砂糖のように。
やさしい世界に身をゆだねれば、読み終わった頃にはいつもの日々をまた愛おしく思えるはずです。
#2 知らない街と「はじめまして」の一歩
その日纏うアクセサリーを選ぶように、
自分のために迷う小道をひとつ選んでみる。
突然自分がいじわるな誰かになり変わってしまった訳でもなく。
人にも花にも、世界にも。
何にも優しくなれない日がある。
そんな日はきっと、きっちり寸分の狂いなく設計されたテトリスのような毎日が、カチカチっとピースのように重なり合って、心のキャパシティをゲームオーバーにしてしまった日なのだ。
コンテニューボタンを押すために必要なのは、予定調和を思い切り崩してみること。
形のはっきりした毎日から、思いきって飛び出してみること。
気の向くままに電車に乗り込んで、降りたことのない駅で、降りてみる。
下調べも、地図もいらない。決まった行き先に向かうための電車を、心の「何か」に引っかかる場所へと連れていくツールに、視点を変えてみる。
そうしてふらり降り立った駅には、約束もなければ、決まりごともない。
あるのは、自分の中にある好奇心と、その好奇心を助けるための、二本の足だけで。
今日を一緒に紡いでくれる小道をひとつ、自分のために選ぶ。
「今日は、どんなアクセサリーを纏おう」
今朝、鏡の前で理由もなくワクワクした、あの瞬間と同じ匂いを、嗅ぎ分ける。
理由はなんだっていい。 「曲がった先に見えた赤色が綺麗だったから」 とか「かわいい猫が歩いていったから」とか。
本当に、そんなものなんだって良いのだ。
何も知らずに降りた場所に、わたしの中の「特別」はないかもしれない。
お洒落なカフェも、はっとするような出会いも、あるかもしれないし、ないかもしれない。
これは「どこかへいくため」でも「何かをするため」でもない。
自分をゆっくり溶かしてまた明日、やさしくなるための時間。
パラパラと降り出した、いつもなら煩わしいはずの雨の音に、そっと目を閉じて、耳を傾けた。
一歩、また一歩と、知らない街を歩くたびに。
心を壁のように守っていたテトリスたちが、ひとつずつ柔らかくなって、溶けていった。
明日はきっと、心の中に柔らかい風が吹いている。
SPOT
三軒茶屋から上町まで
※連載「真夜中に食べる角砂糖―古性のちフォトエッセイ―」はコチラからご覧ください
あなたへのおすすめ