「がん治療していても美しくいたい」...胃の全摘、パニック障害を乗り越えた美魔女、死の淵さまよい見つけたもの
昨年末に行われた『第10回 国民的美魔女コンテスト』(雑誌『美ST』主催)に、ファイナリストとして登場した富山県在住の浜木真紀子さん、45歳。ステージでは輝くような笑顔を見せていた彼女だが、実は37歳のときに胃がんを発症。胃の全摘手術を受けるという、壮絶な過去を持った美魔女だ。
【写真】ホントに手術したの⁉ 見事な美くびれボディと壮絶な闘病生活の様子
■37歳で胃がん発覚、「自殺すら考えるほどのどん底」からの生還
当時、保険のコンサルティング業や女性のためのセミナーなどに従事し、「仕事命」だったという浜木さん。家庭も顧みず、ろくに鏡を見ることさえない忙しい日々を過ごしていたという。そんななか、彼女を悩ませていたのが長期間に及ぶ胃の痛み。ストレスのせいにして医者に行くこともなかったが、心配した家族に再三勧められ、仕事の予定がキャンセルになった日に「お試しくらいの気持ちで」富山の病院を受診。仕事にすぐ戻るため麻酔もせずに胃カメラを飲み、そこで初めてがんが発覚した。
「まさか胃がんが見つかるとは、自分もお医者さんも思っていなかったんです。しかも、手術ではお腹を2カ所切る必要があり、体重は11キロ減、3ヵ月の入院が必要、と言われました。でも、私はどうしてもお腹を切りたくなくて、切らない手術が可能な東京の病院に行ったんです。そこで幸運にも名医と出会うことができて、切らずに済む手術を受けることができました。自殺すら考えるほどにどん底でしたが、それによって『私にはまだ未来がある』と思えたんです」
浜木さんが受けたのは、おへそから内臓を出して胃を摘出、その後おへそから内臓を戻すという腹腔鏡下手術。無事に手術は終えたものの、闘病中は美容どころではなかった。壮絶な食事のリハビリもあり、休養は1年半にも及んだ。
■病気と仕事に追われ心療内科に…、それを救ってくれたのがヨガ
「胃を取っちゃっているので、今でも一人前は食べられないです。ちょこちょこ何回にも分けて食べて、しかもすぐお腹が空くから、常におにぎり10個を持ち歩いたり、お饅頭やお餅を常備したり。今ではそれが生活の一部になっちゃいましたけど(笑)」と、現在でも自由な食事は難しいが、それを語る浜木さんの声は明るい。
「今ではそんなこともオープンに言えるようになりました。でも復帰後は、病気と仕事に追われて、眠ることも食べることもできなくなって。パニック障害を発症して、心療内科に通っていたこともあったんです。それをなんとかしようと、自律神経を整えるために始めたのがヨガ。精神的にすごく救われて、自分と向き合う時間の大事さも学びました」
そんな波乱の30代~40代を過ごした浜木さん。45歳で『美魔女コンテスト』に応募しようと考えたきっかけは、美容師をしている高校の同級生の勧めだそうだ。
「2年ほど前から、同級生に『出てみたら?』と勧められていたんですが、当時は『私なんかとんでもない!』と思って、考えてもいなかった。でもある時、がんについての講演の依頼をいただいたんですね。それまでは再発が不安だったし、病気のことも隠していたんですが、意を決してやってみることにしたんです。
実際に登壇してがんを克服したことを話してみたら、『病気になっても前向きに頑張れる』、『力をもらった』と、すごく大きな反響をいただけたんです。その時、みんなの前に出て発言することは間違っていないんだ、と実感できました。コンテストに出ようと思い直したのも、それがきっかけです。闘病中、『がんの治療をしている自分でも美しくいたい』という気持ちを力にして頑張ってこれたので、それを伝えたら元気になってくれる方もいるんじゃないかって」
浜木さんにとって『美しくありたい』という思いは、そんな風に背中を押してくれるものであり、力をくれるものでもあった。
「もともと美容は好きだったんですが、手術が成功して『まだ夢を見ることができる』とわかって、リハビリにも前向きになれました。内臓を元の位置に戻すためには、痛み止めを使ってでも歩くことが必要。ただ歩くにしても、メイクしたりオシャレしたりして歩くと、すごく楽しくなるんですね。先生方から『病気に見えないよ』と言ってもらえることが嬉しくて、頑張ることで心にハリが出ました(笑)」
■「45のババア」と言っていた息子も、コンテストの応援に
“美魔女”と呼ばれるようになった現在も、もちろん美容には気をつけているが、「肌や髪が整っていないと、メイクしてもいい服を着ても素敵に見えないから」と、大事にしているのは食事などの“基礎”。あとは、前述のヨガがいい効果をもたらしてくれるという。とはいえ、世に言われるイメージとは異なり、「仕事はしていますが別に裕福でもないし、普段は『1円でも、10円でも安く!』と節約している働く主婦。高級ブランドもないし、富山にいると都会と違ってできることも限られますしね」と笑う。
現在は美容や生活についてSNSでも発信しているが、それも“美魔女”となって『美ST』スタッフから勧められて初めて挑戦したのだとか。
「先輩や同期の方のインスタを見るようになり、楽しかったし励みになりました。私自身は今まで美容について発信することはなかったけれど、仕事にもいい影響が出るし、やってみようかと。美魔女の仕事で東京に行く機会もあり、都内にいる大学3年生の息子と会う機会も増えました。息子からは『45のババアの水着なんか見たくない』と言われていましたが(笑)、コンテストにも来てくれましたね。今ではオシャレの仕方や彼女へのプレゼントのことで相談されたり、息子から写真の撮り方を教わったり、会話も増えました」
■死の淵をさまよって見つけたもの、「真の美しさは内面の強さである」
年齢を重ねるからこそ、少しずつ更年期が始まり、だんだんとホットフラッシュの兆候や、髪のボリュームなどにも影響は出てきた。だが、それすらも「隠そうとは思わないんです。悩みもあるけど受け止めて、それでも楽しく生き生きと生きることで出る美しさがあるよと、若い人にも伝えたい」と浜木さんは言う。
「一回死んだと思っているので、怖いものもないし、どんなことも受け止められるようになりました。病気になって、命はもちろんお金の不安もあったけど、それも経験になった。もし病気になっていなかったら、私はもっと調子に乗っていたと思うんですよね。歪んでいたと思うし、きっとコンテストでもライバル心むき出しになってたんじゃないかな(笑)。でも実際は、『ここに立てることが奇跡!』という気持ちになれた。どん底になっても居場所を作ってくれた家族がいて、その大切さを知ることができたのも病気になったおかげです」
「がんになって良かった」と朗らかに語る浜木さん。彼女が死の淵をさまよって見つけたのは、「真の美しさは内面の強さである」ということだった。美魔女というと、外見ばかりが取り沙汰されがちだが、年輪を重ねて滲み出す美しさは、内面がともなわないと輝くことはない。そんなことを実感させてくれる、強く、生き生きとした美魔女だった。